Friday, December 05, 2008

岡田光玉と旧石器時代 (Kotama Okada and the Old Stone Age)

To the English reader,

In this post, I question what Okada, the founder of Mahikari, said concerning the stone ages and show the following points :

・Okada had the wrong ideas about the old and new stone ages.
・The dates he used referring to those ages are groundless, and irresponsible.
・His statements may sound as if they were based on facts. However, he was not correctly telling the facts of the real world, so his statements are largely unreliable, and rather delusional.

This is the man who declared himself as being God's representative on earth and claimed to know the "truth" due to the divine guidance.


---- Phoenix3000


ネットには、岡田光玉(本名:良一)の教えとして、次のものがあったことが紹介されています。〔注1〕


   岡田光玉師述み教え集(昭和41)
   [五月度月始祭ご教示要旨]
   考古学会もずい分以前とは変わってきて、この縄文土器のさらに前期に石器時代があって、それを新石器時代と名付けた。これはざっと六十万年前を新石器時代と名付けていますが、そういう太古時代の更にもう一つ前に旧石器時代というのがあったことがわかってきた。 ・・・ 
  
   [七周年大祭ご教示要旨]
   しかし、最近の日本と外国の考古学者や人類学者や、民間の心あるかたがたによって、少なくとも日本には、六十万年から百万年以上の歴史があることが、ようやくハッキリしてきました。世界の学者も日本が最古の国であるといい出しています。   


*縄文土器、新石器時代、旧石器時代、といった言葉はありますが、この説明にも光玉の間違った認識が見られます。縄文時代のさらに古い時代に石器時代があり、新石器時代と呼ばれ、これは約60万年前のもので、もっと古くなると ー つまり60万年以上前は、旧石器時代になる、と光玉は言っています。<新石器時代がざっと六十万年前>などと、「六十万年前」という数字をどこから持ってきたのでしょうか。

旧石器時代というのは一般に200万年前から約1万年前までを指すようです。日本では旧石器時代の次の時代は、縄文時代と言われます。「旧石器時代の終末と縄文時代の始まりは複雑に交錯している」〔注2〕とのことです。この「縄文時代」が「新石器時代」に位置づけられます。〔注3〕 従って、光玉の説明は間違っています。

*「最近の日本と外国の考古学者や人類学者や、民間の心あるかたがた」とは一体誰のことでしょうか。正体不明の人達によって、「少なくとも日本には、六十万年から百万年以上の歴史があることが、ようやくハッキリしてきました」というのも変な話です。光玉の頭の中にあったのが誰にせよ、実際には、日本に六十万年から百万年以上の歴史があることなど、当時も今も<ハッキリしてきて>ないのですから、それを<ハッキリしてきた>という光玉に深刻な問題が潜んでいます。

*日本が最古の国である、と言った世界の学者って、どこの誰達でしょうか。それとも「日本は現存する国で世界最古の国家」という認識をねじ曲げて、「少なくとも日本には、六十万年から百万年以上の歴史がある」と認められたことに勝手にしてしまったのでしょうか。〔注4〕

光玉を奉ずる教団はこういった彼の主張を支えるような、当時の情報を把握しているのでしょうか。自分と神はツーカーで、自分の言うことが絶対だ、自分の言うことを疑うのは霊障である、と説く光玉の勢いに呑まれて、彼の言うことが無条件に正しいのだとの前提の下、現実世界の情報など、考えてもみなかったのではないでしょうか。

間違った認識により、石器時代,旧石器時代と聞くと,すぐ60万年前のもの、との概念が光玉の頭の中には出来上がってしまっていたのでしょう。下記の引用を見てください。


     石器にしても、日本には石器時代がなかったなどという歴史は、でたらめであったということがよくわかり出しています。ということは、日本からその石器がどんどん出ている。大体60万年前ぐらいからのが出てきています。  ーー『神向き讃詞解説』p211

     最近の特色は、この日本人の人骨、すなわちヤマト民族の人骨と認定された人骨の出る所には、必ず石器が出るということです。したがって、石器文明がなかったなどということは嘘で、世界最古の石器文明人だったことが証明されるようになってきました。   ーー『神向き讃詞解説』p211・214


*「日本には石器時代がなかったなどという歴史は、でたらめであった」と言っていますが、光玉自身の言うことがかなりでたらめです。「日本には石器時代がなかった」のではなく、「日本には、縄文時代以前の旧石器時代がなかった」と考えられていた、ということです。新石器時代の「石器」は縄文時代のものがちゃんと出ていました。横道にそれますが、あの藤村新一は自分が収集した数千年前の縄文時代石器を数万 ~ 数十万年前の地層に埋めました。〔注5〕 縄文時代に石器は作られ、使われていたわけで、「日本には石器文明・石器時代はなかった」と言われていたわけではありません。にもかかわらず、光玉は「日本には石器文明・石器時代がなかった」と言われていたことにして、「石器時代・石器文明がなかったなどということは嘘」と言っています。

*旧石器時代の石器も、1949年以降沢山出ています。しかし、60万年前のものではなく、ほとんどが後期旧石器時代にあたる、3万年前から1.2万年前位のものです。〔注6〕 光玉は<60万年前ぐらいからの石器>がどんどん出ているような言い方をしていますが、これも事実ではありません。ここでも「60万年前」という数字が使われています。

藤村新一による旧石器捏造に光玉が振り回されたのではありません。藤村は1970年代から捏造を開始しているようですが、1981年に4万年以上前の地層から石器を「見つけた」として以来、次第により古い地層から旧石器を「発見」していくことになります。50~60万年前の地層から旧石器が「発見」されたとするのは、1994年のことです。〔注7〕 この時は光玉の死後20年経っています。付け加えておくと、崇教真光の創設者である恵珠と八坂東明(手島泰六/岡田晃弥/現教え主代理)は見事にこの旧石器捏造に騙されました。〔注8〕

*現時点では60万年前の石器など出ていません。ということは、実際のところに照らし合わせてみると、<大体60万年前ぐらいからの石器が出てきています>という光玉の弁は嘘ということになります。もしも将来60万年前の旧石器が出たとしても、光玉の弁は事実ではなかったことに変わりありません。光玉の生存中にはそのようなことはなかったからです。

事実に反するこのような陳述は、光玉自身の妄想か、誰かの『妄想的』考古学ーー妄古学と言ってもいいのかもしれませんーーを取り入れて、その主張の方を事実であるとして自分の教えの中に使った、とも考えられます。神に示された、と本人は言うけれども、結局のところ、光玉の教えは相当部分が怪しげなもの、疑わしいものの寄せ集めで、自分の説に都合がいいように中途半端に提示したものと言えるでしょう。

*「最近の特色は、この日本人の人骨、すなわちヤマト民族の人骨と認定された人骨の出る所には、必ず石器が出るということ」という箇所も、あたかも事実を述べているような口調ではありますが、内容の真偽を問う必要があります。

*文脈からすると、縄文時代より古い時代の人骨のことを言っているように聞こえます。もしこれが、縄文時代の(あるいはそれ以降の)人骨と石器のことだとしたら、それをもって、「日本人が世界最古の石器文明人だった」などと結ぶのは全く筋が通りません。しかし、光玉は石器時代に関して間違った認識をしていますから、縄文時代の人骨や石器を旧石器時代のものと混同したのかもしれません。いつものことながら、光玉の陳述には現実世界との事実関係が不明瞭なことが多過ぎます。

*「日本人」を「ヤマト民族」とも言い換えていますが、縄文時代より古い時代の人骨のことを言っているのだとしたら、実際の歴史において、そのような人骨を<日本人すなわちヤマト民族の人骨>と呼べるものかどうか、大いに疑問です。光玉にとって「ヤマト民族」とは、「優秀な大和民族(日本人)なるもの」が縄文時代を遥かにさかのぼる古代(60万年前どころか、100万年以上前)より日本列島にいて、その民族が近代・現代の日本人にそのまま繋がっている、という願望的想定に基づいた「ヤマト民族」なのです。現実世界の歴史における日本人の形成過程など光玉の頭の中には存在せず、従って、日本列島にいた先住民とか、縄文人,弥生人([注9])等は、その視野の範囲にはなかったようです。

*「日本人の人骨、すなわちヤマト民族の人骨と認定された人骨」の「認定された」という言い回しにも問題が出てきます。一体どこの誰によって「日本人すなわちヤマト民族の人骨」であると「認定」されたのでしょうか。「認定された」と言うのなら、検証も充分になされ、公に確認されたという含みがあるはずです。確かに「旧石器時代の人骨」と考えられたものは数件ありますが、近年の再調査・再検討で、もっと新しい時代のものだったり、人骨ではなかったり、ということがわかり、旧石器人のもの(「更新世の人類化石」との表現もある)とされているのは、そのうち、静岡県のものと、沖縄県のものだけです。〔注10〕

*「・・・人骨の出るところには、必ず石器が出る」というのも、光玉の言うことを鵜呑みにしないほうがよさそうです。ウィキぺディアには「旧石器時代の遺跡に人骨・獣骨化石が残ることはほとんどない」とありますし、旧石器人の人骨だと言われたものに関して調べて行くと、あるサイトには、1962年に発見された聖岳人ー日本旧石器人の中で唯一この人骨だけが旧石器を伴って発見されている、との記述がありました。〔注11〕

*「石器文明がなかったなどというのは嘘」との光玉の表現については前述しました。

*「(日本人が)世界最古の石器文明人だったことが証明されるようになってきました」という光玉の弁も、実際には当時そのようなことは<証明されるようになってきて>はいなかったのですから(今もってそのようなことは証明されてはいません)、これも光玉の意図的な嘘か、彼の勝手な思い込み、ということになります。

どの部分をみても、不確かだったり、怪しかったり、事実ではなかったり、混沌としていたり、です。ですから「最近の特色は、この日本人の人骨、すなわちヤマト民族の人骨と認定された人骨の出る所には、必ず石器が出るということ」という疑わしい内容をもって、「日本人が世界最古の石器文明人だったことが証明された」ことにはなりません。にもかかわらず、日本人を世界最古の石器文明人にしてしまう光玉に問題があると言えるでしょう。

今回の件について要点を挙げてみます。 

・光玉は石器、新石器時代、旧石器時代に関して誤った概念を持っています。
・光玉が持ち込んでいる古い年代は根拠のない、いい加減な数字です。
・光玉の陳述は一見事実を伝えているように聞こえますが、現実の事実を正確に伝えているわけではなく、かなりでたらめで、妄想的とも言えます。

彼の目は日本だけに向いていて、<出ないと言われていた「石器」が出る、よって、日本はもっと古かった、よって、日本人は世界最古の石器文明人だったことが証明された>と言っているわけです。言っていることが疑わしい、ということの他にも、次のような問題点が挙げられます。

・日本の外の世界のことを考慮に入れていません。
・その時まで世界で何が発見されていたのか、という正確な把握が欠けています。
・そして、世界のどこかで新たな発見が起こり得るという可能性は否定できない、ということがあります。

「真光の世界とは:その5」(2007/5)で紹介した光玉の陳述のうちの二つの例と共に、今回と最近のものを幾つか並べてみます。

   確かに、太古においては、太平洋も日本海も紅海もインド洋も陥没していない時代がありました。これらは、ムー大陸の研究が進んでかなりはっきりしてきております。  ーー『神向き讃詞解説』p295
   ムー大陸が陥没した後の太平洋には、マーシャル、カロリン等の島々が点在していますが、これらはムー大陸の陥没した山の頂上が残ったものであることが発掘物で証明されだしています。  ーー『神向き讃詞解説』p297
   世界最古の石器文明人だったことが証明されるようになってきました。  ーー『神向き讃詞解説』p214
   最近の日本と外国の考古学者や人類学者や、民間の心あるかたがたによって、少なくとも日本には、六十万年から百万年以上の歴史があることが、ようやくハッキリしてきました。 ーー岡田光玉師述み教え集(昭和41)
   少なくも六十万年前の日本には、すでに立派な文化が発育していたということがわかってきました。 ーー『神向き讃詞解説』p241
   超古文献による超古代史を、現在では、新しい考古学や人類学やあるいは地質学、海洋学といった学問で裏づけられてきていて、これに反論する余地を与えないようになりつつあります。 ーー『神向き讃詞解説』p244
      

これらの光玉の弁は現実世界の事実ではなかったことを認識すべきです。実際の事実ではないことを事実として述べて、光玉はそれらが「はっきりしてきた」「証明されだしている」「わかってきた」「裏付けられてきている」等と平気で言っていたことになります。さて、この類いは彼のハッタリだったのでしょうか、それとも彼の妄想だったのでしょうか。




〔注1〕「暴かれた真光日本語版」  http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/month?id=104303&pg=200312 (2003/12/17)
〔注2〕「縄文紀行 北日本の遺跡~実像に迫る」  http://www.daily-tohoku.co.jp/kikaku/tyouki_kikaku/jomon/jomon_08.htm
〔注3〕「ウィキペディア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/石器時代
〔注4〕「岡田光玉の説く日本と世界の歴史」(2008/08)と、その〔注6〕の「ウィキペディア」参照。
〔注5〕「旧石器捏造事件考」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuunidai
〔注6〕「ウィキペディア」 http://ja.wikipedia.org/wiki/日本の旧石器時代
〔注7〕「ウィキペディア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/旧石器捏造事件
   及び「奥野正男・「霊能者」が活躍した旧石器「考古学」の日々」  http://www.okunomasao.com/saikin/jyoumonn13.htm

〔注8〕♦教え主(恵珠)教示の一部 ーー 真光誌410=1996(平成8)年11月号p13−p15 (太字は原文のまま)

      近年、宮城県座散乱木遺跡や馬場壇遺跡の発見により、旧石器時代は十万年以上に遡ることとなりました。これにより、それまで反対しておりました学者も、前期旧石器の存在を認めざるを得なくなってまいりました。
      そして平成6年には、同じく宮城県上高森遺跡において驚くべき発見がなされました。北京原人出現より十万年も早い、なんと六十万年前の地層から見事な旧石器が発見されたのであります。
      遺跡の表面には火で焼いた跡がありました。これは北京原人よりも古い時期に、日本原人が火を使用しておりましたことを意味しております。 ...(略)...
      発見されました十五点の石器は、赤い碧玉製の石器を中心として、放射線状に並べられて出土いたしました。このことから、原人にはきれいに並べる美意識があり、豊かな精神性を持っておることが分かります。
      わが民族の遠つ世の祖先は、少なくとも六十万年前の太古の昔から神祀りを行い、死者には副葬品を供える習慣がありましたことを示しております。
      茲に、「人類歴史」は大きく変更を迫られる天の時が到来いたしました。
          ...(略)...
      救い主様は、「新考古学の発掘と発展によって、日本列島から少なくとも百万年前の遺跡が発見されるであろう」とご予告あそばされていらっしゃいます。即ち、六十万年はおろか、”百万年前に此の霊の元つ国に人類が既に存在していた”ということになります。
     今までの常識では考えも及ばざる出来事が、考古学という実証の世界から起きつつあります。
 
    ♦「天意の大転換_岡田光玉師の大予告2」八坂東明著 (p252) ーー 「暴かれた真光日本語版」  http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/month?id=104303&pg=200312 (2003/12/17)より。

      北京原人より十万年前に、わが国に日本原人が住み、しかも美的な認識を示していたという事実に驚嘆するほかはない。
      そして平成十年十一月には、推定七十万年前の石器が上高森遺跡から発見された。
      師の預言したとおり、百万年前が見えてきたのである。

    ♦次の引用は「真光関係者集合(43)」の125からのもの。  

      崇教真光八坂東明教え主代理(岡田こうや・手島泰六)著書、「最後の天の岩戸開き」p222では、光玉師は「百万年以上前の遺跡が日本から出土する」と予言した云々と記された上で、この上高森(藤村新一の捏造の舞台)のことを認容していた。


〔注9〕弥生人:中国本土と朝鮮半島から移住してきた人たち。「日本人のルーツ」  http://www.jin.ne.jp/smc/no4/no4.htm
〔注10〕「ウィキペディア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/日本の旧石器時代
〔注11〕「日本人の起源」  http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/nihonjin.htm


ーー火の鳥Phoenix3000