Sunday, January 14, 2007

<真光の世界とは> - The World of Mahikari

Here is the first in a new series of posts by Phoenix3000 about the world of Mahikari - the devotees' claims and reactions to criticisms, and a glimpse of the founder's bizarre teachings in Mahikari literature. (Hoping, as always, to post an English translation eventually...)

 
岡田良一(光玉)が始めた真光は、その背景となる事実を隠し続け、現代に「神話」を作り上げようとしました。『真光の業』を最大の呼び物にして、その現象を神、霊魂、霊障を証明するものであると説いて、この『業』で信者を「依らしめ」、「終末思想」と「霊障」で信者を脅し続け、信者から信頼、服従、時間、お金等を吸い上げて、その虚構の世界に安住してきました。事実への追求運動が始まったのは、立教35年以上も経った、1995、6年のことです。それ以降、真実を求める人々の情熱と努力と貢献によって、闇に葬られていた事実が日の目をみるようになり、その実態が次第に明らかになってきました。

一方、真光擁護に懸命な幹部、信者なら、師(光玉)の言うことを、たとえ矛盾があっても、事実と違っていても、問題にするなんてけしからん、師(そして教え主や教団)に間違いはない、「天地創造の神の使わされた者の言うことだから、そして教団はその神の霊団であるのだから、師(そして教え主や教団)に間違いはない」として、なんとか光玉や教団を正当化しようとするでしょう。

何かの間違いだ、このような文献は信者の信念を揺るがそうとする『邪神の魔語』による嘘や偽りである。
インターネットは『邪霊』に操られているので、嘘でいっぱい。
真光を暴露している人達は、個人的な恨みを持っている人達で、そのような者の言うことを信じてはならない。
元組み手は教えを知らない、理解していない者達である。
真光業の実践なしには、真光の教義は理解できない。
真光批判には客観的根拠がない。
暴露された事実は批判派の空想、妄想である。
批判派は批判ばかりを繰り返す。
光玉が自分のことを宗教の素人である、というのであるのだから、どんな事実が出てこようが、光玉(及びその教団)の主張に合わない事実の方が間違っているのであって、光玉(及びその教団)に間違いはない。
光玉にいろいろ宗教的知識があったことについては、『最初の啓示』以前に他宗教のことを勉強・研究していた、との教団の説明があるではないか。
正神真神の主神が光玉を通して教えその他の諸々のことを言わせたのだから、光玉の言うことは正しい。 
師の言葉を疑う者は邪霊、邪神に操られている証拠。
他宗教に属し、その幹部であったとしても、それは光玉が神霊界のことを学ぶよう神が仕組んだことである。依って、師や教団の主張に矛盾はない。
教祖の経歴における一貫性欠如も、矛盾も、神に深いお考えがあってのことであろう。
神の世界は奥の奥があるそうだから、人知では理解できないのである。
光玉の経歴詐欺云々よりも、手かざしの奇跡がある。効果も否定できるのか。

真光信奉者は、ここにあげる真光の文献を確かめようともせずに否定してくるでしょう。もっとも、絶版になった本もあるようです。教団としては都合の悪い箇所がたくさんある本をそのままで復刻はしないでしょう。都合の悪いもの、箇所はそれとわかった時点で倉庫の奥にしまい込むか、破棄して、黙秘するのでしょう。書き換えもしているようです。
不思議なことに、信者は現時点で教団の言っていることで、自分の聞いた範囲だけにとどまろうとする傾向があります。それ以上は思考が働かないようです。インターネットでの書き込みを見ていると、以前に、信者間では知られていて、まことしやかに言われていたことでさえ、「そんなことは聞いたことありません」「知りません」と言い切り、まるで、そのことを指摘する人のほうが嘘や空想を言っているかのようです。「そんなものがあったのかなあ」などと疑問にも思わないようです。もしかしたら、「聞いたことがありません」と言って、都合の悪い教えや話はなかったように振る舞っているのかもしれませんが。
彼らは、光玉・教団の言っていること・言っていたことでさえ、都合が悪ければ「そんなことは知りません」「聞いたことがありません」と言います。他方、元組み手を含めた、真光の外の人のことは「真光のことを何にも知らない人達」とか、「教えを理解せず、わかってない人達」と決めつけます。

信者が「知らない」と言い、知ろうともしない態度についての書き込みがありました。

     竹内文書やムー大陸の偽書・偽説については、(自分は)中級だから、上級の内容は分からないと答え、初代の経歴詐称については、初代を知らないから分からないと答える。
     
     真光組み手は、表面上の教え以外、何一つ知らないようだ。そして、知ろうともしない。  ....
     興味があるのは御利益と、自分の周囲にいる人間を自分の住んでる世界に同化することだけ。
     こんな組み手ばかりだから真光の信者は無知で危険だと言われるのだ。
     
     少しは自分の属している団体がどういうところか調べてから発言しなさい。   <真光関係者集合(39)ー 45>
    

信奉者は真光に都合が悪いものは、確かめようともせずに否定したり、ウソだ、捏造だと決めつけたりする一方、光玉の教えや、教え主の教えであれば、『ムー大陸』や『竹内文書』のような、信憑性のない「トンデモ類」に基づいた話を確かめようともせずに信じてしまいます。本当の意味での「科学する心」のほうを忘れ、教団がその教えに使えば、疑似科学のほうは鵜呑みにします。偽史についても、他宗教に関することでも、光玉(そして教え主)の言ったことだから本当だ/本当なのだろう、と無条件で受け入れます。内容確認の作業はせずに、光玉・教団に『ス直』であるよう努力することになります。真光で言う『ス直』とは『真光の教えに疑いを一切持たない』という意味が含まれています。光玉・教団の言っていることと違えば、それは『邪神の魔語』『邪霊の操り』『嘘』等であるとして、信者に聞く耳を持たせない、考えさせない、というのも教団側の、信者に対する思考コントロールの仕組みの一環です。事実を隠して、経歴詐称をする人間(また団体)の言うことにどれほどの信憑性があるのか、まず、真光の思考枠を一歩出て、検討すべきなのですが、教団側はそれをさせまいと、必死になるでしょう。

ここで偽史に基づいて光玉が語る、世界と日本の歴史についての説をちょっと見てみましょう。


 何でも日本は世界より新しい、とする先入主観による誤った見方をあらゆる面で是正して、正しい日本歴史はすなわち世界歴史である、ということを皆が知るようにしたいと思っています。ーー昭和60年(1985)初版発行 『御対談集』96頁 

 人類の祖はわが日本に天降られ、それから五色人の祖が生まれ、全世界に人類がひろがったということなのです。  ーー 『御対談集』  101−102頁

 今日の宗教が、なぜ哲学化し形骸化してしまったのか、という問題になるのですが、これは、人類歴史があまりにも、ウソ偽りに満ちたままで、元をわからぬようにしてきた結果だと私は結論づけています。ーー昭和57年(1 982)発行『神向き讃詞解説』70頁

 日本はすでに世界最古の文明民族であったことの確信を、まず自らつかんでゆかなければなりません。  ーー『神向き讃詞解説』75頁

 これまでの歴史はいかに嘘が多かったか、嘘でかためられていたかということがはっきりとしてきます。ーー 『神向き讃詞解説』76頁

 日本人は優れた科学をもっていた時代がある   ーー 『神向き讃詞解説』 207頁

 日本が新しいなどということは、実に恐ろしい迷信だといわざるをえません。 ーー『神向き讃詞解説』 217−218頁

 全世界の歴史そのものが、全部ひっくり返らなければなりません。 ーー『神向き讃詞解説』 219頁

 自分たちの先祖が、メソポタミアの文明や、ギリシアの文明などとはお話にならないような、古い文明を受け継いで、もっていたということすら、現代の日本人は知らない。一口に言えば、それほど騙されてきたということで  す。ーー『神向き讃詞解説』 72頁

 そこへもってきて、歴史の迷信がある。嘘八百の歴史を教わって、それが人類の歴史であり、日本の歴史であるかの如くに思わされて来た。 ーー 真光誌269 昭和60年(1985)2月号 22頁

 
また、光玉はモウシェ、イエス、釈尊をよく引き合いに出して、自分の出現の意義・役割を裏付けようとします。ここではその異様な説のほんの一部を紹介します。

 モーゼ、釈尊、イエス・キリストでさえ、ワザワザ八千海里をものともせず、日本に何回も来られて、水面を竿一本で渡る術すら修じている。  ーー 『御対談集』38頁

 モウシェは日本で亡くなられております   ーー 『神向き讃詞解説』445頁

 釈尊もやがてはイエスと同じように、ダイバに追われてどうしようもなくなり、日本へ帰ってきてしまい、日本で百十六歳までの晩年をすごされております。  ーー 『神向き讃詞解説』483頁

 イエスは歴史上、事実十字架にかかって死んでないことは、皆さんよくご存知のことなんです。あれはウソなのです。 —— 真光誌185 昭和53年(1978)二月号 15−16頁

 イエスが、ゲッセマネで十字架にかかることになったとき、ユダと示しあわせて芝居をするわけです。そして、かわいそうですけれども、弟のイスキリスが身代わりになって、自分は日本へ亡命しておられます。これは、以前キ リストが日本へ来られてイスラエルへ帰られるとき、天皇から「絶対に向こうで死んではならない。必ず帰ってくるように」という勅命を受けておられるからです。....ーー『神向き讃詞解説』484頁

 
一貫して熱心な天皇主義者であった光玉が、『竹内文書』を中心に、誰かの捏造した話やファンタジー、一般的でない解釈・説等を拾い集め、客観的考察などは無視して、自分の筋書きに合うものを取り入れ、自分の説に合うように変えもして、こういった真光の世界観を作り上げた、と見る方が正常でしょう。

また、光玉が、何のことを『先入主観による誤った見方』『嘘(八百)』『偽り』『迷信』だと言っているか、にもご注目願います。『人々が習って、知っているところの歴史は嘘で固められている』『日本人は優れた科学をもっていた時代がある』『日本が世界最古の文明民族であった』等と明言し、『嘘(八百)』『偽り』『(恐ろしい)迷信』『騙されてきた』といった言葉を絡め、自分こそが本当のことを明かしているのである、と自信たっぷりです。では、それほどの自信を持って話すことに確かな根拠があるのでしょうか。『古文献』に書いてある、というのが中心です。『竹内文書』といった、具体的な出所を明示せず、『古文献』『太古の文献』『(超)古代史』としか言いません。その主張の根拠にする『古文献』がどういうものであるか、その信憑性が検討されるのを避けた、とも見ることができるでしょう。もっとも、光玉によれば、日本の古いものの湮滅運動が盛んで、「うかつに言ったりすれば、たちまち湮滅されてしまう」(『神向き讃詞解説』227頁)のだそうですが。

 <続く>

 ーーー 火の鳥phoenix3000 ーーー